1. はじめに:年金「いつから」受け取るかの議論はもう古い?

「年金は60歳から繰り上げるべきか、70歳・75歳まで繰り下げるべきか」――これは多くの方が悩むテーマです。
単純な計算(足し算や掛け算)だけで考えれば、「何歳まで生きるか」によって、繰り上げ受給と繰り下げ受給のどちらが得かが変わってきます。長生きする前提なら繰り下げ受給が得ですが、極端な話、70歳で亡くなってしまうなら60歳から受け取った方が総額が多くなる、という理屈です。
しかし、年金受給を考える上で、この「何歳で受け取るか」という議論だけでは不十分です。なぜなら、日本の年金制度は税金や社会保障の制度と複雑に絡み合っているためです。
本記事では、この複雑な制度を乗りこなし、「いつ死ぬか分からない」という前提の中でも合理的に、かつ最もコスパ良く年金を受け取るための新しい判断基準をご紹介します。
2. 年金受給の基本ルール:繰り上げと繰り下げのメリット・デメリット



まず、年金の受け取りは原則として65歳から始まります。
受給開始時期 | 調整率 | 65歳時の月額が10万円の場合 |
繰り上げ(60歳から) | 1ヶ月繰り上げるごとに0.4%減 | 60歳から開始:7万6,000円(最大24%減) |
基準(65歳から) | 100% | 10万円 |
繰り下げ(最大75歳まで) | 1ヶ月繰り下げるごとに0.7%増 | 70歳から開始:14万2,000円(42%増) |
75歳から開始:18万4,000円(84%増) |
長生きを前提とするならば、繰り下げ受給の方が得なのは事実です。しかし、もしご自身の寿命が分からず、受け取り開始年齢を決めきれないのであれば、次に解説する**「受給額」に着目した考え方**がヒントになります。
3. 最もコスパが良いのは「月12万円」!知っておくべき「155万円の壁」



従来の「何歳で受け取るか」という議論から離れ、本記事が提案するのは、**「いくら受け取るのが最もお得か」**という観点から逆算して、受給開始年齢を決める方法です。
年金の受け取り額によって、かかる税金や社会保険料の割合が大きく変わってきます。
具体的に、65歳以上の単身者のケースで年金額に対する手取りの割合(コスパ)を概算で見ると、ある金額帯に「山なり」のピークがあることが分かります。
この「コスパ」の観点から見ると、年金が毎月12万円程度になるように調整するのが良さそうです。
この最適ラインを理解するための重要なキーワードが、**「65歳以上の155万円の壁」**です。
<年間155万円(月約12万円)を超えると何が起こるのか?>
年金受給額を年間155万円(月約12万円)に抑えるのが推奨されるのは、このラインを超えると、以下の負担が発生・増加するためです。
1. 所得税の発生
2. 住民税の発生
3. 国民健康保険料の増加
155万円を超えないようにすることで、これらの税金・保険料の負担を抑え、手取り額の割合(コスパ)を最大限に高めることができます。
<隠れたメリット!高額療養費制度における恩恵>



年金受給額を155万円の壁以下に抑えるメリットは、税金や保険料のコスパだけではありません。社会保障制度、特に高額療養費制度においても大きなメリットがあります。
高額療養費制度とは、1ヶ月の医療費の自己負担額に上限を設ける制度です。
70歳以上の方の場合、年金が月12万円以下であれば、1ヶ月の治療費の自己負担限度額は最大2万4,600円に抑えられます。
しかし、年金が月13万円になった途端、この限度額は5万7,600円に跳ね上がってしまうのです(倍以上の値上がり)。
医療費の負担は老後の大きな懸念事項です。社会保障上のメリットを享受するためにも、月12万円(年間155万円)というラインが非常に重要となります。
4. あなたの最適受給年齢を計算する方法



目標受給額が月12万円と分かったところで、次にやるべきことは、この目標額を達成するために「何歳から受け取ればいいか」を逆算することです。
<ステップ1:65歳時点の年金受給額を確認する>
まず、ご自身の65歳時点の年金受給額(月額)を把握してください。
確認方法は以下の通りです。
1. 年金ネットにアクセスする
2. 年金定期便を確認する
<ステップ2:目標の月12万円に調整するための繰り上げ/繰り下げ月数を計算する>
確認した65歳時点の年金額に応じて、調整が必要な月数を計算します。
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パターンA:年金が12万円以上15.7万円以下の場合(繰り上げが必要な人)
※注:65歳時点の年金が15万7千円以上ある方は、60歳まで繰り上げても12万円以下にはならないため、コスパ重視なら60歳からの受け取り開始が最も簡単な選択肢となります。
65歳時点の月額が15万円だった場合の例で計算します。
1. 目標額の割合を計算:12万円(目標) ÷ 15万円(現在) = 0.8
2. 減額すべき割合を計算:100% – 80% = 20%
3. 必要な繰り上げ月数を計算:20% ÷ 0.4%(1ヶ月あたりの減額率) = 50ヶ月
50ヶ月は4年と2ヶ月に相当します。この方は、65歳から50ヶ月分(4年2ヶ月)繰り上げて受給開始(約60歳10ヶ月頃)すれば、年金額を12万円に抑えられます。
【パターンA計算式】 $$((\text{目標額 } 120,000円 \div 65\text{歳時点の月額}) \times 100) – 100 = \text{B}$$ $$\text{B} \div 0.4 (\text{繰り上げ減額率}) = \text{必要な繰り上げ月数}$$
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パターンB:年金が6.5万円から12万円以下の場合(繰り下げが必要な人)
※注:6万5千円以下の場合は、たとえ75歳まで繰り下げても12万円には届きません。この場合は損得ではなく、現実的な生活の維持を優先して受け取り開始を検討することが推奨されます。
65歳時点の月額が10万円だった場合の例で計算します。
1. 目標額の割合を計算:12万円(目標) ÷ 10万円(現在) = 1.2
2. 増額したい割合を計算:120% – 100% = 20%
3. 必要な繰り下げ月数を計算:20% ÷ 0.7%(1ヶ月あたりの増額率) = 約28.5ヶ月
28.5ヶ月繰り下げると12万円を超えてしまうため、**28ヶ月以内(約67歳4ヶ月頃まで)**に受給開始することで、12万円以内に収めることができます。
【パターンB計算式】 $$((\text{目標額 } 120,000円 \div 65\text{歳時点の月額}) \times 100) – 100 = \text{B}$$ $$\text{B} \div 0.7 (\text{繰り下げ増額率}) = \text{必要な繰り下げ月数}$$
5. まとめ:年金受給はトータルコストで判断を
年金の受給開始年齢を決める際に、「いつ死ぬか」ばかりを考えるのは精神的にもしんどいものです。
本記事でご紹介した「いくらを受け取ったらコスパが良いか」という観点、すなわち**「155万円の壁」**を意識した受給戦略は、税金や社会保障費も含めたトータルコストで年金受給を考える、極めて合理的な方法です。
ただし、注意点として、年金はコスパが全てではありません。特に経済的に厳しい状況にある方は、現実的な生活基盤を最優先に考えるべきです。
今回の考え方は、「経済的に余裕がある中で、できるだけお得なタイミングで年金を受け取りたい」という方に最も当てはまるでしょう。



ぜひ、年金ネットや年金定期便を確認し、ご自身にとって**「ちょうどいい金額」**になる最適な受給開始時期を計算してみてください。
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